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この頃からはユーラシア全体に因を発する動きに列島が巻き込まれます。それは失われた10支族や、神話と記紀の謎が交差する複雑な歴史なので推測も加えます。

 

BC800 殷王朝が周に滅び、残党が山東半島→南鮮で
青銅武器を大量に鋳造した
アーリア群団が釜山に集結→日本侵功

ヤマト群は鹿島、香取の本陣と伊勢志摩の熊野群団が呼応し、
関ヶ原付近でアーリア群団と大決戦
倭国大乱

 

​BC722 イスラエル北王国の滅亡 アッシリアに滅ぼされ捕囚された失われた10支族 

BC660    ニギハヤヒ 日本建国 

    

    記紀にはハツクニシラススメラミコト=初めて国を治めた天皇が初代と10代の二人がいる。

実際大和は饒速日一族が支配で、大和(奈良)や河内(大阪)周辺に神社が多く存在。

    一人目の神武とされるのは饒速日(ニギハヤヒ)で、大和国を作る

    

ニギハヤヒノ命という名はウガヤフキアエズと同じく世襲で、別名火明命(ホアカリ)ともいい、ビルマ~雲南を支配。

後に除氏と名乗って河南省の宛で製鉄コロニーを建てる。秦の始皇帝に追われて満州に逃げ、穢(わい) 国を建て、のち扶余に合体。沖縄を本拠とする狗奴国の王の長髄彦の妹と結婚。末裔が物部氏。

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BC600    ユダヤ10部族が契約の箱とともにパレスチナを去る

本来のアジア系スファラデ・ユダヤ人が黒潮に載って、淡路島(オノコロ島)に着いた 

    

何故か西日本だけのイザナギ・イザナミの国産み神話

変な回り方だと思いませんか? 黒潮で淡路島の手前にある沼島に着いたのは分かります。推測では、すぐ横に紀伊半島があるのにそちらへは向かわず。つまりニギハヤヒのいる大和を避けて、まずは四国の剣山に契約の箱を隠します。次に未だ小国乱立の九州の様子を見てから、壱岐、対馬、そして遠く佐渡へと。本州の中国地方があるのに、ここも出雲国があるのを知っていたのでしょう。最後に本州ですが、東日本(日高見国)はすでに平定されていて、アカホヤ火山灰の影響でまだ人口が少なかった西日本に上陸したのかも?

BC600    日本の国家が建国

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推測: 日本神話の国譲り

この頃から寒冷化による人の移動、大陸からの移民もあるので、南下したい日高見国が西日本や九州に統治者を派遣。

 

大和の国譲り

アマテラスの命を受けて孫のニニギが大和へ来てみると、そこはナガスネヒコを従えた饒速日一族が支配。それでニニギは自分が天孫だと三種の神器を見せる。するとニギハヤヒも十種神宝をみせ、自分も天孫だと。理由は分かりませんが、ニニギに国を譲る。

 

出雲の国譲り

鹿島神宮の主神のタケミカヅチが国譲りの交渉を任された。八代目大国主は息子たちに聞いてくれと。兄の事代主は降伏し姿を消すが、弟のタケミナカタは抵抗し、敗北し、諏訪地方へ移動させられ国譲りが完了。父の大国主は国譲りの代わりに巨大な神殿48mを要求し、国は譲る。

 

九州の国譲り

ニニギの子孫の神武までかかって平定

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BC550    イラン人の一派であるペルシア人が、アケメネス朝ペルシャ建国オリエントの4王国(メディア、リュディア、新バビロニア、エジプト)を次々と征服し、大帝国を築き上げた。

 

BC324     ペルシャのアレキサンダー大王が、BC328からバクトリアへ侵攻

大王の東征にシメオン族も従軍。
さらにバクトリア総督ディオドトスと将軍とマザウェスは、長安に至り、バクトリアの植民市=秦を建国。ディオドトスが始皇帝として即位(BC221-BC206)

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BC213    秦の始皇帝の焚書坑儒

 

始皇帝は、自分のユダヤ人の血を隠すため、真実を知っている人々を生埋めにし、歴史を改ざんした

この時、多くの王族や儒学者を殺された魯人ガド族の移民 (孔子孟子の子孫)は、箕子朝鮮を頼って遼東へ逃れた。やがて彼らは、イスラエル北朝系からユダヤ南朝系に変身。

 

BC90年頃からガド族は燕王公孫氏(南朝系イッサカル族)の一部勢力と連合して、移動を再開。朝鲜半島を西岸寄りに南下して対馬浅茅湾(あそうわん)に至ると、彼らはこの地を、かつての亡命地であるイラン高原の『ダガーマのハラン」に因んで対馬の「高天原」と称し、日本列島への前進基地とした。

浅茅湾と対馬海峡東水道がもっとも接していた小船越(こふなこし)には天日神命(日神)をまつる阿麻氐留(あまてる)神社が鎮座する。

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アマテラスの孫のニニギ、その孫がウガヤフキアエズで海彦山彦伝説の山彦です。

互いの道具を取り替え、山幸彦は海に出掛けますが兄の大切な釣針をなくしてしまいます。海幸彦は釣針を探しに綿津見宮にたどり着き、海の神の娘トヨタマヒメと恋におちます。その子がカムヤマトイワレビコノミコト神倭伊波礼毘古命=神武となります。

対馬の和多都美神社の奥にはには豊玉姫の墳墓石が鎮座しています。

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秦始皇帝・徐福と3千人 秦氏各地に渡来 第3波

 

ユダヤのマナセ族は中国の羌族に入って、遼東半島の斉国にいた。

 

BC200    徐福が秦の始皇帝に不老長寿の薬を求め、数千人の若い男女とともに蓬莱山を目指し四国へ到着

 

推察するに、秦が中国統一の動きの中、周りの小国を次々滅ぼしている。斉国滅亡も時間の問題とみた方士の徐福は始皇帝に不老長寿の薬の話を提案し、許可をもらいます。

どう考えても薬探しだけに3000人、それも若いカップルならば、明らかに日本に根をおろす計画ですよね。この人数なら何艘?隻?もの船で来ることになるので、それがバラバラに散って上陸後、伝承を残した可能性もあるかもしれません。

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BC86 ユダヤ系ガド族の猿田彦らが北九州竺紫に渡来 旧伊勢国を建て、その下にイッサカル族、セブルン族が結集。王宮は古武高木遺跡

猿田彦命2世 (210~213) の王宮は平原遺跡でイスラエル神(バアル神)を祀る太陽神殿 天照大神を祀る日代宮を平原に築き、三種神器(八咫の鏡、鉄剣、勾玉)を奉納。​縄文人、シュメール人、苗族を支配下に置きユダヤ人のヘレニズム文化(青銅器文化、ギリシアとペルシャ混合文化)を九州全体に広げた。

 

BC74頃 朝鮮からユダヤ人亡命集団六部族が有明海の鳥栖に上陸大国主命が博多に委奴(いど)国を建て、吉野ヶ里まで拡大

 

BC50頃 ユダヤ人亡命集団ガド族300人が霞ヶ浦=衣河流(いかるが)の海に渡来

 

BC30頃 セブルン族400人が薩摩半島(加古島)から鹿島灘に上陸

 

BC1 濊王一族の陜父が 濊族の一部を率いて亡命、博多に上陸。

AD1 更に白川を下って熊本に「多婆羅国」を建てた

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34 イエス・キリストが日本への布教でセブルン族50人と東日流十三湊に上陸し、津軽→鹿島→熊野→伊勢と続くユダヤ人コロニー布教活動を続けた。イエスの死後には常総地域に鹿島、香取、息栖の三社が建てられた。これらがのちに鹿島トライアングル(ゼブルン族の三角地帯)と呼ばれる古神道および古武道の聖地となった。

 

147 東アジアの覇権を争う「倭の大乱」が始まる

 

後漢に圧された高句麗(北倭人)が委奴国(ユダヤ・シメオン族)と東表国(南倭人・エプス人・中臣氏・大分県宇佐 ヒッタイト人・蘇我氏)を攻擊

当時の東表国(豊日国・駕洛国 金官加羅) は朝鮮と九州を文化圏とする海人族の千年王朝で、エビス王(海部知男命(あまべしるおのみこと)で委奴国はその同盟国

 

163 東表国+委奴国の連合軍が、高句麗と同盟の猨田彦らの伊勢国を攻撃。古武高木・平原の太陽神殿を悉く破壊 伊勢国を滅ぼす。

古武高木から三種神器(八咫鏡、天叢雲剣)が出土。

ガド族の族長アマテル(天照)を祀り、ユダヤ系でないウラルトゥ系の神武が同じ神を持っていた。

                

旧伊勢国王・猿田彦五世らの二手に分かれ亡命

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189 公孫度(大物主命)が遼東太守から燕国王で独立。度の長男・康(事代主命)が扶余族と共に南下し、帯方郡を建て、更に南下し、九州の投馬(加古島)国王となる。

 

210-213 神武が博多に上陸し、東表国+委奴国を滅ぼす。 

 

214 委奴国を滅ぼした神武が、猿田彦らの旧伊勢國に伊都国を建てた。 

 

神武の2人目の妻が大物主命の娘、卑弥呼。神武亡き後、先妻の長男の季父と結婚し、三人の男子が生まれる。

 

宮崎県西都原(さいとばる)古墳群の中にある男狭穂塚(おさほづか)と女侠穂塚の古墳をそれぞれ瓊瓊杵尊・花佐久夜毘売命の陵墓に決定しているが、実際は多分?神武と卑弥呼の陵墓。

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