
The purpose of the book
This book is made with the help of many artisan volunteers.
Native translators were also happy to volunteer.
I hope this book, written in English and Japanese, will help you understand Japan!
本の趣旨
この本は、多くの職人ボランティアの助けを借りて作られています。
ネイティブ翻訳者も喜んでボランティアで協力してくれました。
英語と日本語で書かれたこの本が、国内外の皆さまの日本理解に役立ちますように!





















氷河期に日本列島に到達した縄文人
40000年前 日本列島はアジア大陸と陸続きで旧石器人が日本列島に到達。 冠遺跡(広島県)の発掘調査で約4万2300年前の地層から石器が発見
38000年前 旧石器時代の静岡県沼津の遺跡から、伊豆諸島の神津島産(本土から約50キロ)の黒曜石が大量に出土。北欧のバルト海沿岸、中央アジア、ロシア各地の遺跡からも同様のものが出土。つまり遠洋航海技術を持つ人たちがいた証拠。
16500年前 暖期に入り縄文時代が始まり、次第に人が集まり東日本に日高見国ができる。日高見国は神道の祝詞に出てきます。
15000年前 契丹古伝によれば、日本列島=東大国(しうから)とのルートがあったと言われるタリム盆地ですが、かつては巨大タリム湖のあるコタン地域では古代からヒスイが産出。縄文人も翡翠を使って加工しているので、行き来していた可能性もある。
12000年前 ビュルム氷期終焉時に起きた「大洪水」ノアの方舟
→ 世界的海面上昇 → 日本列島が離れる
氷期終焉時に起きた大洪水でスンダ大陸から避難した人たちによって
メコン河流域に興った「バンチェン文明」
→ バンチェン王国の移民団である「マヤ人」が世界各地に移植
→ 世界で解明されていない文字が日本の神代文字で読める
高橋良典著の
太古、日本の王は世界を治めた!神代文字が明かす消された歴史の謎

8000年前 沖縄の港川人→ 奈良の地に渡来
当時の奈良は琵琶湖ほどの湖沼で、三輪山、大和三山「畝傍山、天香具山、耳成山」は小島だった。湖沼の畔にある竪穴式住居に定住してコロニーを作り、ヒエ、アワ、キビなどの雑穀栽培、併せて狩猟、漁労をした。
彼らは三輪山を御神体(ア二ミズム信仰)として敬っていた。大和三山は二等辺三角形で、三輪山と畝傍山を結ぶと冬至の日の入り線。港川人は大洪水後の航海の際、天体観測を基にして日本に来た種族で、ピラミッド造りもその文化思考の表れ。
三輪山の縄文人=港川人、オロッコ人、アイヌ人は山や蛇などの自然の中に山や蛇などの自然の中に神を見ながら生活していた。人間の領域と蛇の領域は別で、蛇の領域を侵すと様々な害を受けるけど、それをわきまえていれば蛇が人間を守ってくれる、という考え方。→ 昨今のクマ出没の理由がここにあるかも?
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7300年前 鬼界カルデラ アカホヤ火山灰が西日本を覆う
全国に散らばり住み着いていた縄文人の平和な暮らし。それを突然襲ったのが過去1万年で最大といわれる鬼界カルデラの大噴火。その火山灰が西日本を不毛の土地にした。火山灰は偏西風にのって東北まで達しており、鹿児島では1m以上、宮崎県南部でも60cmを超えた。
こうして縄文人の避難には古代の丸木船が使われた。一部は船で東日本に。発見された船は約200で、そのほとんどが関東、特に千葉県に集中している。更に南の海へも。
別の一部は朝鮮半島に。この頃の半島はほぼ無人で、新羅が半島を統一する7世紀ごろまでは縄文人の子孫がそのまま半島人となって初期の国の成立に関わっていた。
さらに大陸の方に移動した 縄文人が築いた四大文明
BC5500 バンチェン文明から中国の半坡(ハンパ)遺跡 黄河文明
BC5000~BC1200年頃 モヘンジョダロ、ハラッパーの遺跡 インダス文明
BC4000~BC2000年頃 インダス経由で、メソポタミヤの地 シュメール文明
BC3000年頃~ メソポタミヤ経由で、ナイル河口にエジプト文明
エジプトへ渡った人達はシュメールと同じ中近東人

BC2000 メソポタミアのシュメールの滅亡
バビロンが崩壊で、アッカド人とシュメール人はセム人に吸収され→カルデア人→カリエン人となって東方大移動
本流は→インド→東南アジア 台湾に住み→沖縄→日本にも住み→朝鮮半島→中国東北区→一部が中国の江南へ移動→雲南→ミャンマーへ入った現在のカレン州と、カレンニ州
この頃の沖縄は、宝貝の世界最大の産地。殷商帝国に貝貨を供給し、大規模な経済活動で、東アジアの大勢力。
BC1700 フェニキア人とカルディア人、インドのマガンのシューメル人は中国大陸に殷(商)、燕、中山、奇子朝鮮などの植民地国家=基地を作った。殷の甲骨文字はインダス文字の変形でした。

BC1500 国東半島の重藤に弥生文化の伝来
ユダヤ人がオーナーになっていたタルシシ船隊がイスラエルの港を出発し、メコン河下流の要港であったオケオ港に至った。
彼らはさらに日向灘→豊後水道を経て国東半島に達し、国東町重藤の海岸に莫大な砂鉄の堆積層を発見して「野タタラ」による製鉄所を築き上げた。
この船隊はフェニキア人の手で運行され、エブス人と製鉄族のヒッタイト人は船員として、またワジャック人が奴隷として乗っていた。彼らは、先住民の港川人らに農業文化を教えながら労働者として使役し、重藤の鍛鉄(たんてつ)製造所で武器や農器具類を製造した。
そしてそれらを中国河南省にあった「殷文化圏」にも運び、エブス商人らが先住民との交易に支払う「貨幣」として活用。

紀元前13世紀 出エジプト 第1波
モーセに率いられたイスラエルの民(ユダヤ人)がエジプトでの奴隷生活から脱出。
京都の八坂神社の祭神はスサノオノミコト=牛頭(ごす)天王。そして祇園祭に配られるチマキには蘇民将来の札がある。
蘇民将来とは、縄文、シュメルからの流れを継承した北の10部族を「蘇民将来」として描いた話かも?
かつて古代中央アジアにあったコタン王国=ホータン(于闐・うてん)仏教王国で翡翠や綿、絹などで栄えていた地域。ここを通りかかったスサノオが一夜の宿を金持ちの巨旦将来(弟)に断られ、兄の貧しい蘇民将来に迎えられた。スサノオは蘇民に告げる。門を赤く塗った家を除いて全て滅ぼすと。この話は聖書に出てくる過越の祭の話と同じ。
日本神話 日高見国の高天原のアマテラスの所へスサノオがやって来て乱暴を働き追い出され、出雲に行き、ヤマタノオロチを退治していく。今も茨城県の鹿島神宮の近くに高天原という地名が残っている。
古代出雲の東部に意宇(おう)郡がある。因幡の白兎の話はスサノオの娘と結婚した心優しい大国主で、太田市にあるスサノオの息子の五十猛(イソタケル)は植林を進め、森の神(五十猛神社)とされている。こちらは意宇(おう)の国の主。
ずっと後、BC74頃にやってくる神武と敵対するシメオン族の大国主とは別人物。

BC1200 インダスのシュメール文明の滅亡 (西からのアーリア系民族に滅ぼされる)
この時を機にカナン人→フェニキア人(→後にユダヤ人)となって ビルマ→マレーシア→ポリネシア→沖縄→中国南部へ
BC1100 殷文化圏からUターンした ●エブス人の中臣氏が宇佐を中心とした
東表国 狗邪国 駕洛国 金官加羅を含=豊日国が建国された

BC1000 パンチェン文明の植民者であるシュメール人と苗族1300人が先遣隊の情報を得て立志し、大隈半島経由で奈良へ渡来。金属文化を伴う彼らの水田稲作農業は、先住民にとって画期的な先進文化であった。苗族人は先住の港川人やツングース (アイヌ族)らと協力し、その労働力を駆使して広い湖沼を埋め立て、水田稲作農業を盛んにしていった。
こうして始まった奈良盆地の先進文化が中心となり、近畿地方をはじめ西日本および東日本のツングース(アイヌ族)やオロッコ人 (勞民)の文化圏にも弥生式農業文明が拡散していった。
その後、一千年にわたる弥生時代を経るうち、いつしか「大和」と呼ばれるようになった奈良盆地および近畿地方に、苗族とツングースとの間の人種である津止三毛(つとみけ)族のクニが誕生。
つづく