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半蔵門時代、番傘倶楽部がありました。目的は、西洋傘にはない特徴「捨てればすべて土に戻る」地球環境にやさしい和傘の良さを広めました。どうせそんなに集まらないかと思いきや、2ケ月後には120名。会員は旧藩国名で出身国がつけられ、日本地図はかなりカバー。

今回も誰のことか分からないように旧藩国名と番号です。にっぽんの70歳を超えたおじいさんたちの今の暮らしを小話で送ってくださればあなたも会員です^_^ 一歩引いて客観的に見れば新たな発見があるかも? 武蔵や山城2番、3番でもOKです。日本地図がどこまで広がっていくでしょうか? 

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山城1番 

マンション管理人の山城1番さん、出勤前から掃除に精を出し建物のどこにいるか分からない。礼儀正しく挨拶は帽子を取って「おはようございます!」と。まともに付き合っていると長くなる。急いでいる時は会わないように小走りで出ると、後ろから「行ってらっしゃいませ、お気をつけて!」と大きな声がかかる。以前はなんの仕事だったのか、丁寧すぎて執事かホテルマン?

 

安芸1番 

友達のご主人は中小企業の社長の安芸1番さん、会社にはベトナムからの研修生を受け入れている。私が広島駅に着いた時は、3人で出迎え。運転しながら助手席の娘さんと広島カープの話で延々盛り上がっている。他にも自立した息子さん、お嬢さんがいるが、残った娘とこんなに仲良しな父親は見たことがない。自社ならではの幸せな現役。

 

信濃1番 

同じマンションの信濃1番さんは、ITエンジニア。以前は新幹線で東京へ通勤。現在家は近くの病院の寮に貸していて、それが延々と続いている。同郷の奥様はお母様が亡くなり、家の片付けでよく帰郷。今は夫婦で京都に引越したようなもの。近年、信濃1番さんは透析を1日おきに。でもその表情は「ジムに通っているようなものですよ」と明るい。

-----------------------------------------2025.1.5

摂津1番

某大手企業で在米勤務もあった摂津1番さん。退職後は語学や別荘生活を楽しんだり。が、ある日家で倒れ、心肺停止から一命を取り留め、現在高次脳機能障害(低酸素脳症)。幸い身体的障害はなく、会話も可能で一種の認知症。記憶が途切れ、直ぐ前の事も何度も訊ねる「そんなおじいさんと暮らしています」と奥方様より。

 

下野1番 

10年ほど除夜の鐘を一緒した下野1番さんは建設業。フェラーリに乗ってダンヒルのパイプをくぐらすダンディーな人。自社の仕事を手伝う奥様の唯一の贅沢は着物を着て京都に来ること。最近下野1番さんは耳が遠くなり、話が通じない。フェラーリが大破しても大した怪我もなさそうで毎年仲良く夫婦で京都にやってくる^_^

 

伊予1番

環境方面では第一人者の某大学教授だった伊予1番さんは、現在は教え子がしっかり受け継いでいる。退職後は環境をテーマの時事漫画に磨きがかかって新聞に掲載されたり、関西漫画家協会のメンバーにも加わり展示会も。本業とは別に長年環境漫画を描いているという二足の草鞋、かっこいい!!

-----------------------------------------2025.1.10

武蔵1番 

某有名デパートの美術部を退職した後、自分で骨董業を始めた武蔵1番さん。良家の一人息子で大学時代から付き合っている友達に「いつ結婚なさるの?」と迫る彼の母親はお茶の先生。隣に住む叔母様はお料理の先生。この方達がいる間はとても無理、と友達曰く。二人とも102歳104歳まで存命。自身も骨董になりつつある武蔵1番さん。

 

甲斐1番

デザイナーの甲斐1番さんは世界で開催した展示会は数知れず。奥様は同居の彼の両親の世話をしながら二人の子供を育て、海外への同伴も。多忙が重なりついに認知症に。両親も亡くなり、二人の子供は海外へ移住。彼のことも分からない病院暮らしの奥様に、一人暮らしとなった甲斐1番さんは「寂しい、寂しい」と。

 

伊勢1番

老舗の海産物問屋の息子にも関わらず、JICAでアフリカ諸国に長く滞在の伊勢1番さん。あちらの言語や仏語も堪能で、子連れの奥様もアフリカ人。さぞ両親は驚かれたことでしょう。その血の繋がらない息子さんが日本にすっかり溶け込み、店を手伝っている。生まれた娘さんはNYに。今や海外支店を持つようなもので伊勢1番さんは営業に忙しい。

 

-------------------------------------------- 2025.1.13

 

阿波1番 

某大学の考古学の教授だった阿波1番さんは毎年エジプトに発掘調査に。ところがある日、バックしてきた車と壁に挟まれ十数箇所骨折。数回に分けた手術も経た。本人は車椅子も杖もつきたくないと、リハビリ2年で回復。またエジプトに出かけているという根性!! 世の中には凄い人がいるものです。

 

尾張1番 

某商社で欧州滞在中にあちらの人と結婚の尾張1番さん。4人兄弟の長男だが結婚後は皆別の場所に。実家の大きな屋敷は母親一人で蔵に泥棒が入っても気が付かず。退職後は商社時代の先物取引の経験を活かして中小企業のオブザーバー。息子とテニスを楽しんだり、米国の別宅に住んでいる娘に会いに時々出かける。

 

若狭1番 

時々京都の別宅へやって来る若狭1番さんは開業医。以前は一緒に食事や遊びに行ったが、コロナからは没交渉。二人の息子さんも研修医と薬剤師で残業続き。親は親で地域の責任ある医療の柱にされてこちらも休みがない。医療も日進月歩、薬の数も一昔前とは違う。絶えず勉強に追われ今後も感染症に限らず災害があれば医者は大変だ。

--------------------------------------------2025.1.13

長門1番

ふぐ専門店料理人の長門1番さん。最近は1年中ふぐが食べられるけど、下関は旬の半年間だけ。京都の店でも冬中心開業で値段は通常の倍?だが、天然トラ河豚にこだわり、歳月をかけて香りをしみ込ませた土鍋や茶炭を用いるので、海外からの客も多い。せっかくの店だが、息子さんがこの店を継ぐかどうか分からない。

 

因幡1番

因幡1番さんは上京して商業デザイナーで活躍の傍ら、ブリキのおもちゃを集めていた。が、その数が半端でなくなり、展示も兼ねて仕事場を近郊に移している。時代は変わり今はパソコンで仕事ができるので上京回数は減ったようだ。最近の年賀状は自画像や子供時代の絵や詩で、ゆっくりとした生活のようだ。

 

越中1番

奥の細道で芭蕉が訪ねた所にある寺の住職の越中1番さん。境内に芭蕉の碑があるならばと、気に入って即決した伊達冠石で英語の句碑も作ってしまった。デジタルお化けは苦手と言うが、外人の先生がいる幼稚園を経営したりというなかなかユニークな越中1番さんの活躍は続く。

 

-------------------------------------------- 25.1.19

 

駿河1番 

現在ニーズの高い仕事は色々あるが、その1つが豚の心臓の供給。毎年医者は続々誕生しても、いきなり人の心臓手術は難しい。それで人に近い豚の心臓が練習に使われる。駿河1番さんの都内の仕事場の入口には段ボールが積み上がり、全国からのニーズはあれど、とても間に合わない。

 

上総1番 

腕のいい大工だった上総1番さん。仕事が順調だった大工の親が亡くなり、母親と二人になった。どうもこの母親が某新興宗教に取り込まれたらしい。その余波は上総1番さんにも及び、貯金をどんどん使い、ついに通常生活が無理。今は生活保護を受けているらしいが本当に気の毒です。

 

睦奥1番 

先祖は北前船の網本の睦奥1番さん。都内での仕事の退職と同時に、まちづくりに協力して某商店街に店を構えた。しかし周りの店のオーナーの高齢化で、訪ねた時、その辺りはし~んとしていた。今はお国の特産品の販売促進のため新たな展開を模索しながらテナントショップのようになっている。

 

-------------------------------------------- 25.1.19

以下の番傘クラブは、参考にしばらく紹介します。

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